クラシカルなプロレスが遠い過去のものとなって久しい。今は影も形もなくなり、ラリアットプロレス(※)へと変化した。
柔術はどうだ。グレイシー柔術はベリンボロ柔術へと変化した。
若い入会希望者に我々のスポーツを見せた時「これは一体何のためにそうしてるんだろう?」という動作やポジションが極端に多くなり、理解してもらうことが以前より難しくなった。
ではグレイシー柔術時代の説明は楽だったかといえば、それはそれでまた大変だった。既知の武道や格闘技のイメージと先入観があり、どちらが攻めているのかすら説明に窮したものだ。
「何のためにそれをしているのかよく分からない」
これはスポーツへと昇華した武道に限った話ではない。ゴールに玉を入れたらなぜ得点なのか。棒で打った玉がスタンドに入ったらなぜ得点なのか。それらの全てに「だから何なの?」と言われてしまうと元も子もない。
何か本来の意味があったのかもしれないが、その意味は長い時間を掛けて形骸化していくものだ。そして大半の人にとって、もはやそれはどうでも良いことになる。
これを進化と捉えるか、退化や劣化と捉えるかは、それぞれの視点や立場によって異なる。とにかく「変化」し続けていることだけは間違いない。
※序盤から大技を連発して頭から落としまくるプロレス